『対象の脅威判定が更新されました。執行モード。リーサル・エリミネーター』

「嫌・・・やめて・・・」

『慎重に照準を定め、対象を排除してください』


「いやぁぁぁぁぁ!!!!」





夢の中で、私は何度もあなたを殺した――――










目が覚めると、見上げた先にあるのは見慣れた自室の天井ではなく、飾り気の一つもない一面灰色のコンクリート。
朱は枕もとの時計に目をやるが、最後に確認した時間から三十分ほどしか経っていなかった。
報告書をまとめていたら0時を過ぎてしまって、ここ最近の寝不足からくる体調不良で自宅へ帰ることは諦め、刑事課の仮眠室を借りた。
寝不足の原因は夢見が悪いこと。三日ほど前から毎晩同じ夢ばかり見る。目が覚めた今、思い出しても心臓が押しつぶされそうになる悪夢。
夢に見た光景を再び頭の中に思い浮かべてしまい、湧き上がる恐怖から、今すぐに眠りなおそうという気にはとてもなれなかった。
局内を歩いて気分を切り替えようと、朱はベッドから降りると、仮眠室を後にした。

廊下を歩いていると夜勤の人と何度かすれ違ったが、皆、自分の仕事に追われ、朱一人を気に留める人はいない。
窓の外を見れば街の光が眩しくて、この街から光が全て消える瞬間はあるのだろうかと意味のないことを考えてしまう。
鈍い音を立ててガラスに額をつければ、予想以上の冷たさに思わず目を閉じる。そして予想以上に痛かった。
「何やってるんだろう・・・私」

このままじゃ、いつか必ず仕事にも支障をきたす。現場では小さなミスが仲間を危険にさらすことだってあるのに。

幸い色相は濁っていないが、そうなると逆にセラピーを受けることもできない。
このまま寝不足が続いて倒れるよりは睡眠薬を処方してもらった方がいいのかもしれないが、決して眠ることができないわけではなくて、眠ることによって見る悪夢によって何度も飛び起きてしまうことが問題なのだ。そうなると薬を服用しても同じことなのだろう。


ガラスに額を預けたまま、溜め息をついて、目を閉じる。徐々にガラスの冷たさにも慣れ、心地よくさえ感じえる。
激しい眠気は常にある。でも、眠ることが怖い。またあの夢を見るから。
「――――っ!」
繰り返し見る夢を思い出して、急激に体温が下がった気がした。



大丈夫・・・
あれはただの夢・・・

夢なんだから・・・



自身の身体を抱きしめるように二の腕を掴み、込み上げる震えに耐えていると、たった今、頭の中を掠めた人物に声をかけられた。


「何をしてる。監視官」


「狡噛さん・・・」



普段なら聞くだけで安心できる聞き慣れた低い声も、今は苦痛でしかなかった。
顔を上げれば、怪訝そうな顔で朱を見る狡噛と目が合った。
自分を見る狡噛の姿に、先程見た夢の中の姿を重ね、朱は無意識に顔を顰める。朱のそんな小さな異変を狡噛は見逃してはくれなかった。
「何があった・・」
『何かあったのか?』ではなく、何かあったことを前提とした問いだった。
「先に言っておく。今にも倒れそうな顔色をしていて『何もない』とはいわせないし、言ったところで説得力の欠片もないことを頭に置いておくんだな」
前置きをした上で、狡噛はもう一度朱に問う。
「何があった?」
隠し事をする隙を一切与えるつもりのない質問の仕方だと思った。別に隠すほどのことでもないので正直に理由を話す。
「最近、寝不足で体調があまり良くないみたいなので、今日は自宅には戻らず、仮眠室を借りたんです」
あくまでも話すのは【こんな時間に局内にいる】理由と【寝不足による体調不良が原因】ということだけ。【寝不足】の理由は絶対に口にできない。


特に狡噛さんには・・・・・


「狡噛さんはこんな時間にどうしたんですか?あっ、まさかまた煙草を買いに行ってたんですか?駄目ですよ。最近、狡噛さんは煙草吸いすぎだって征陸さんもいってました。いきなり禁煙とはいいませんけど、せめて本数は減らした方がいい・・・で・・す・・よ」
話を逸らそうとして饒舌になってしまったことが、より一層不信感を煽る結果となってしまったらしく、朱が言葉を発するたびに目に見えて狡噛の顔に不機嫌さが色濃くなっていった。咎めるような視線がこれ以上の無駄話をやめろと声に出さずに朱を威圧する。
狡噛の視線を真っ向から受け止めることができず、俯き黙ってしまった朱の姿に大きく息を吐き出すと、狡噛は朱の手を掴み、早足に歩きだした。
「ちょっとこい」
「わっ!狡噛さん!?」
長い脚に早足で歩かれては、朱は小走りでついていくしかなかった。正直、寝不足の身体にはかなり辛い。
「ちょっと!待ってください狡噛さん!」
しかし朱の要求は通ることなく、速度を落とさぬまま仮眠室に連れ戻された。仮眠室に入ると、狡噛は掴んでいた手に更に力をこめ、朱の身体をベッドに放り投げた。精神的にも体力的にも衰弱していた朱の身体は抵抗することなく、ほとんど倒れるようにしてベッドの上に背中から着地した。
突如その身に降りかかった疲労から、本当は起き上がりたくなんてなかったけど、こんな扱いを受けて抗議のひとつも言わないなどということは、さすがの朱にもできなかった。

「何するんですか!?」

私、体調悪いっていいましたよね!?と気だるい身体を何とか奮い立たせ、食ってかかろうとすると、ベッドに腰かけた狡噛の手のひらが朱の視界を覆った。暗闇の中で、先程とは違い、優しく労わるよう声が耳に届く。
「あんたが寝不足で体調が悪いのは一係の全員が知ってる」
日に日に眼の下の隈が濃くなってるぞと瞼の上から朱の目を軽く押した。


「これが最後だ。監視官。何があった?」




その言い方はずるいです。

『これが最後』
このまま何も言わなければ、狡噛さんは黙って部屋を出ていっただろう。

でも、そんな風に言われたら
そんなに心配そうな声で言われたら



何もないなんて言えないじゃないですか・・・・






「・・・最近、同じ夢ばかり見るんです」

朱は、目に当てられた狡噛の手に両手で触れ、さらに自身に押し当てた。


「夢の中で、私は狡噛さんと一緒に槙島聖護を追っているんです。でも気がついたら狡噛さんはいなくなっていて。私は必死に狡噛さんを捜して、暫くして仰向けになった槙島聖護を組み敷いた狡噛さんを見つけるんです」
話しながら、視界を塞がれた朱の脳裏に、夢の映像がまるで映画のように映し出される。
「狡噛さんの手には初めて槙島聖護に会った時、あの男が持っていた剃刀が握られていて、それを槙島聖護の首元に突き付けていました。私は援護しようとしてドミネーターを構えるんですけど、槙島聖護に銃口を向けても犯罪係数が低くてトリガーがロックされてしまって・・・・」


どうあっても、ドミネーターでは槙島聖護を裁くことはできない。
『あの時』と同じ――――


「どうしていいのかわからなくて、狡噛さんの方を向いた時、ドミネーターの銃口が狡噛さんを捉えて、犯罪係数が表示されたんですけど、執行対象ではない槙島聖護に刃物を突き付ける狡噛さんの犯罪係数がどんどん上昇していって、ドミネーターがパラライザーからエリミネーターに変わって・・・」


初めて会った日、狡噛さんにドミネーターを向けた時はパラライザーモードだった。
それは意識を奪うもので、命を奪うものではない。
でも、夢の中で自分が構えた銃は、確実に狡噛さんの命を奪うものだった。



「私はドミネーターを下ろそうとするんですけど、腕が動かなくて、指が勝手に動いて引き金を引いてしまうんです」



次の瞬間には、どこを探しても朱の視界に狡噛を捉えることができなかった。視界に映るのは全身を狡噛の血液で赤く染めた槙島聖護ただ一人。
起き上がった槙島は、血の池の中を歩きながら朱に近づくと、優しく頬に手を添えた。ぬるりとした生温かい感触と咽返るような鉄の匂い。


『護ってくれてありがとう。常守監視官』

耳に直接吹きこむように囁かれた言葉に・・・
言葉の意味に・・・


吐き気がした・・・



護った?


私が?


誰を――――?



目を見開く朱を見て、槙島聖護が優しく、本当に優しく、笑った。







『あっ・・・・あぁ・・・・・!!』





自分の悲鳴に飛び起きて、夢はいつも同じ場面で終わる。
その後、自分がどうしたのか、どうなったのかも知らない。知りたくもない。



「ごめんなさい・・・」
私は夢の中で何度もあなたを殺したのだと本人を目の前にし、口にするのはさすがに居心地が悪い。
でも言われた側の人間の方が気分が悪いに決まっている。
「自分でも、どうしてそんな夢ばかり見るのか本当にわからないんです」
縁起でもないことを口にしてしまった申し訳なさと、やはり言わなければよかったと後悔の念が渦巻く。
最後まで黙って話を聞いていた狡噛は、自身の手を掴む朱の手に触れ、拘束を解くよう要求する。
朱が手を離すと、狡噛も朱の目を覆っていた手を離した。冷たい空気が瞼にかかる。
「あんたにとってその夢は眠れなくなるほどの悪夢なんだな?」
言いながら狡噛は親指の腹で朱の目尻を拭う。
どうやら気付かないうちに泣いていたようだ。狡噛の指が濡れて微かに光っていた。
「・・・そう・・ですけど?」
「なら、それだけあんたが俺を失いたくないってことなんだろう」
何度も殺したくなるほど憎んでいるっていうなら話は別だがなと苦笑する狡噛に、そんなこと思うわけないじゃないですか!!と朱は本気で怒りを露わにする。そんな朱に、狡噛は『悪かった』と短い謝罪を述べる。
「夢にうなされるってのが、どんなものかは俺にもわかる。だが、それを他人がどうにかしてやることはできない」
自分自身が乗り越えるしかないといって狡噛は朱の肩を軽く押した。
突然の出来事に抵抗する間もなく、朱の身体は力の流れのままに従って、再びベッドに吸い込まれていった。
「とりあえず少し眠れ」
「でも・・・」
「心配するな。あんたがうなされたらすぐに叩き起こしてやる」


だから起こされるまで大人しく眠っていろ




そういって、再び朱の目を覆う様に手のひらを被せた。

うなされたら起こしてもらえる。それならあの夢を最後まで見なくてもすむ。
それだけでも、心が軽くなった気がして、目を閉じて数分で朱は眠りの中に落ちていった。



暫くして、朱が小さなうめき声をあげ、眉間に皺が寄る。額に汗を浮かべ、右手を強く握りしめ、微かに震えていた。

狡噛は朱の右手を包み込むように触れ、きつく結ばれた指を一本ずつ優しく解していく。
解かれた指に、自身の指を絡め、耳元に唇を寄せる。


「大丈夫だ。常守。俺はここにいる」


狡噛の声に、朱の身体から徐々に力が抜けていく。
額の汗を拭い、髪を掬うように何度か頭を撫でてやると、緊張も完全に解け、震えも止まっていた。


規則正しい寝息が再び聞こえ始め、同時に一筋の涙が頬を伝ってシーツを濡らした。
悲しみからではない。安心から生まれた涙を拭ってやると、微かに朱の唇が動いた。
起こしてしまったかと思ったが、その大きな瞳はいまだ閉じられたままで、どうやら寝言のようだった。
消えてしまいそうなほど小さな声を聞き逃さないよう、唇に耳を近づける。


「・・・・ひとりにしないで・・・ください」



「最初からそのつもりだ」





その後も、眠り続ける朱が何度かうなされる事があったが、その度に狡噛は朱の手を握りしめ『大丈夫だ』と囁き、朱は再び深い眠りにつく。
それらを五時間ほど繰り返した後、朱は栗色の瞳を開け、ようやく目を覚ました。


そして時計を見るや否や、狡噛に向けたのは礼の言葉ではなく、抗議の言葉だった。
「五時間も眠っていたなんて!どうして起こしてくれなかったんですか!?狡噛さん!」
うなされたら叩き起こしてくれるって言ったじゃないですか!!とベッドの上で四つん這いになり、狡噛の方へ身を乗り出した。
そんな朱に対し、狡噛は何処吹く風といった様子でベッドから腰を上げた。
「あんたは一度もうなされてなんかいなかった。だから起こさなかった。それだけだ」
「えっ・・・?私、一度もうなされてなかったんですか?」
きょとんと眼を見開く朱に、狡噛は呆れを含んだ声で答える。
「あぁ。いっそ羨ましいくらい気持ちよさそうに眠ってた」
「そんな・・・最近はずっと・・・・」
「気にし過ぎなんだよ。一度悪夢を見たせいで、眠ること自体に恐怖感を覚え、考えすぎた結果また同じ夢を見る」
さすがに長時間同じ態勢でいたため、身体が凝り固まっている。軽い柔軟で身体を解す狡噛の横で、朱は狡噛の言葉を頭の中で復唱する。
「今回は余計なことを考えずに、うなされたら起こしてもらえるって少しでも安心していたから夢を見なかったってことですか?」
「そんなもんだろう」
しばらく考え込んだ後で、朱は恥ずかしそうに頬を染めながら狡噛を見上げる。
「私ってそんなに単純にできてるんでしょうか?」
「今頃気づいたのか?」
「ちょっ!何ですかその言い方!少しはフォローしてくれても!!」
思わず手元にあった枕を投げつけてしまったが、いとも容易く受け止められ、逆に顔面に枕を押し返される。
「事実なんだ。フォローしようがない」
「酷いです!狡噛さん!」


受け取った枕を元の位置に戻し、朱もベッドから降りる。
いつの間にかベッドの横に揃えて置かれた靴を履き、ベッドを整えていると背後から問いかけられた。
「結局、あんたは何か夢を見たのか?」
「え?夢ですか?夢・・・・何か見たような気はするんですが・・・」
睡眠を十分にとったからだろうか。頭がすっきりして、内容がまったく思い出せない。
「忘れちゃいました」
「単純なだけじゃなくて、鈍感でもあるんだな、あんたは」
「さっきから失礼すぎですよ!」





夢の内容は覚えてない。
それでも、時折聞こえた優しい声は覚えている。

大丈夫だといわれ、名前を呼ばれるたびに凄く安心した。




時々、少し意地悪で、でもとても優しいあなたの声----











今も右手に少し残る自分以外の体温に、涙がこぼれそうになった。









FIN






強制終了感がハンパない。