「次の非番の日に縢君の部屋に行ってもいいかな?」

気になってる女の子に、躊躇いがちにそんなこと訊かれたら二つ返事でOKするっきゃないでしょう?







「んで?その紙袋いっぱいの荷物は何?朱ちゃん」
約束通り、非番の日に縢の部屋を訪れた朱は、小麦粉やチョコレートでいっぱいになった紙袋を抱えていた。
「何って。お菓子作りの材料だよ?」
調理道具は借りちゃうけど、材料は持参するのが当たり前でしょう?と朱は袋の中から取り出した材料をキッチンに並べていく。
「朱ちゃん・・・お菓子作り教えてほしいってあれ、ガチだったの?」
「えっ?なんで?嘘つく理由がないでしょう?」
「いや・・・まぁ、そうなんだけど」
何かの隠語なのかな?とか思うじゃん。甘い展開期待しちゃうに決まってるじゃん。
それが本気で菓子作りが目的とか・・・違うだろ。俺が期待してたのはそういう甘さじゃないって。

朱は落胆する縢など気にする様子もなく、一緒に調達してきたと思われるエプロンを身につけて縢の正面に立つと「今日はよろしくお願いします」と一礼をした。

真面目だ。頭にバカがつくタイプの真面目さだ。でも、さすがにここまで一生懸命だとからかう気にもなれなくなっちゃうっていうか。
つまりは毒気も抜け落ちるってもんでしょ。


そのひた向きさが向けられる先が自分じゃないってのが正直、面白くないんだけどね。


「っしゃ。じゃあやるとしますか」
言っとくけど、俺の授業は結構スパルタだから覚悟しといてよっと着馴れたエプロンを身につける縢に、朱は「はい」と敬礼した。
「で?朱ちゃんは一体何を作りたいわけ?」
「チョコレートを使ったお菓子がいいんだけど…」
朱はそこで一度言葉を切ると、エプロンの裾をモジモジと弄り始める。
「どったの?朱ちゃん」
「えっと・・・あの・・・できればコーヒーリキュールを使った甘さ控えめなやつが作りたいの」


【コーヒーリキュールを使った】【甘さ控えめ】の【チョコレート菓子】


それだけ聞けば、作る菓子の目的も、渡す相手も自然と想像がつく。


「なるほどね。コウちゃんへのバレンタインチョコってわけか」
「っ私、狡噛さんにあげるなんて一言も言ってないよ!?」
「それだけ顔赤くしてたら『図星です』っていってるのとかわんないって」
酒飲んでもほとんど顔に出ないくせに、朱ちゃんったら純情だねぇ〜っと少しの嫌味を込めてからかってやれば、朱は頬を膨らませて「縢君の意地悪」と縢を睨みつける。

俺が意地悪だって?バカ言っちゃいけないよ朱ちゃん。
本当に意地悪な男ってのは、気になってる女の子が恋敵にあげるバレンタインのチョコレート作りなんて手伝ってあげたりしないって。


「そんじゃまぁ、次の日コウちゃんが腹痛で仕事休むなんてことになんない程度には食べれる物作れるようになんないとね」
「そこまで料理できなくはないからっ!」
からかい過ぎて、若干のご機嫌斜になった朱に、縢は夕飯に手料理を御馳走すると約束して手打ちにしてもらい、やっとのことでお菓子教室が開始された。


「とりあえず今日はパウンドケーキでも作ってみますか」
「はい」
「ってか、朱ちゃん。こりゃまた、色々買い込んできたね」
キッチンに並べられたのは、小麦粉・ベーキングパウダー・ココアパウダー・チョコレート(スイート・ビター・ホワイト・ストロベリー)コーヒーリキュール・バター・マーガリン・生クリーム・チョコクリーム・粉砂糖・黒糖・グラニュー糖・卵(10個入り×2)
「何が必要かよくわからなくて」
恐らく菓子の作り方を手当たり次第に調べて、目にした材料をとりあえず買ってきたというところだろう。
勉強はできる方でも、賢い買い物とは言い難い。
「バターがない時にマーガリンで代用するのに、両方買ってくるとか・・・」
「っ!いいでしょう別に!バターだって足りなくなっちゃうかもしれないし!」
「どんだけ失敗するつもりなのさ」
【危険予測】で、もしものことを考えておくことはいいことかもしれないけど、予備があるせいで『失敗しても次がある』なんて思われては本末転倒だ。まず、食材に申し訳がない。
「とりあえず、最初は俺が作るから、朱ちゃんは助手ね。俺の作ってるの見ながら手順とか覚えてって」
「うん」
いきなり素人にやらせて、横から口で説明なんてしていたら、手早さが必要とされる作業で間違いなく手が止まる。
とても効率がいいやり方とは言えないし、何より朱のようなタイプには、まず見て、記憶させ、実際にやらせてみる流れが一番だろう。




お菓子教室は順調に進み、あとは170度のオーブンに入れた生地が焼けるまでの30分を待つだけだ。
「そうだ。朱ちゃん。今日作ったやつ、結構甘さ抑えてあるから俺らが食べる用にチョコレートでも溶かしてかけよっか?」
「うん。そうしよう!」
「じゃあ、朱ちゃん。チョコ溶かしといて」
「わかった」
朱がチョコレートを溶かしている間に自分は残った洗い物をすませてしまおうと、流し台に向かった縢は、隣で取り出したチョコレートの塊をそのままボールの中に放り込む朱を見て、手にしていた食器を床に落としそうになるのを何とか耐え、一呼吸置いてから食器を流しに戻し、朱に言った。
「あのさ・・・朱ちゃん。チョコレートを湯煎で溶かす時は、まず最初にチョコレートを細かく刻むんだよ」
「えっ!?そうなの?」
「まぁ・・・それでも溶けるっちゃぁ溶けるけど、時間かかるっしょ?」
「へぇ・・・」
「朱ちゃんってさ、今までバレンタインにチョコレートあげたことないの?」
菓子作りが初心者とはいえ【チョコレートを溶かして、型に入れて固める】程度のものは作ったことがあるだろうと思っていた縢にとって朱の反応は予想外以外の何物でもない。
「あるけど、市販の物を買ってあげてたから」
たしかに、料理なんて注文言えば数分もしないで机の上にセット料理が並んじゃう時代だし、自分で作る必要なんてないわけだけど。
縢は隣で刻んだチョコレートを溶かし始めた朱を黙って見つめていた。


今までは手作りで誰かにチョコレートあげようなんて思ったりしなかったのに、今年は違うってことか。
こんなに必死になっちゃって。


あぁ〜

面白くねぇ・・・




縢は手を伸ばすと、朱の白い頬に飛んだチョコレートを親指の腹で拭い、その指を朱の目の前で舐め上げた。
「どうよ?ドキッとした?」
少し低い位置から上目づかいで問いかけるも、朱の表情には何の変化もなく、「へ?何が?」と問い返されてしまった。

なんか、ほんと、もう・・・
どうしたらこんな純情な子が育つのか、教えてもらいたい。


キッチンに一人項垂れる縢を見て、朱は『もう。チョコが食べたかったなら言ってくれればあげるのに』と的外れなことを言っている。
どこまで男として見られてないんだか・・・


まったく…

でも、そこが朱ちゃんのイイところでもあるんだけどね


縢は小さく笑いを零し、顔を上げた。
「ほらほら。口ばっかり動かしてないで、手を動かす」
「縢君が先に話しかけたんでしょう!!」






まぁ、とりあえず。
【味見係】とはいえ、コウちゃんより先に俺が朱ちゃんの手作りチョコ食べるわけだから、良しとしてやるよ。





FIN



仔猫と仔犬がじゃれ合ってる(笑)

先日、朱ちゃんと縢君のお菓子教室をツイッターで呟いたら、フォロワー様から素敵なリプを頂いて!!
ご本人様に許可をいただき、小説内に組み込ませていただきました!
青井さん!ありがとうございます。