「狡噛さん。構いませんか?」
「ああ」
短い返答を受け取り、朱は狡噛の部屋へと足を踏み入れる。
「この報告書なんですけど…っ!?どうしたんですか!?狡噛さん!」
ジーンズに上半身裸の状態でソファーに座る狡噛の足元には解かれた包帯がとぐろを巻いていた。
泉宮寺豊久に撃たれた傷口が開いてしまったのかと血の気の引いた顔で駆け寄る朱に狡噛は「心配するな」と言葉で制する。
「身体動かしてたら包帯がずれただけだ」
「…もう、驚かせないでください」
狡噛本人は医者を説得して正式に退院したといっていたが、説得しなければ退院を許可されない状態の人間がもうトレーニングを開始していることも問題だ。それに狡噛のことだ。加減することもせず、全快時と変わらないトレーニングをしていたに違いない。リハビリと呼ぶにはハードすぎる。
「あまり無茶しないでください」
「その台詞をあんたがいうのか?」
「えっ?」
狡噛の声のトーンが微かに下がり、同時にふたりの間の気温までも下がった気がした。
「メモリースクープ。無事だったからよかったものの何かあったらどうするつもりだったんだ?」
槙島聖護のモンタージュを作るために、記憶の追体験をし、目の前で友人を殺された光景を再び脳内と心に焼き付けた。
色相カーブは規定値以内で犯罪係数も上昇はしたがすぐに回復し、念のためメンタルケアのセッションを受け、すぐに通常勤務に復帰した。
「あの時、通信を遮断してしまってすみません」
朱は手にしていた報告書をテーブルの上に置くと、空いた手で床の包帯を拾い上げ、狡噛の隣に腰をおろす。朱の行動の意味を理解して、狡噛は朱に背を向けた。目の前に広がる引締った背中に朱は包帯越しに触れ、わき腹を通り、胴まわりに包帯を巻いていく。
「縢君が狡噛さんに知らせたんですよね?」
「あぁ。俺にはあんたを止める権利はないといったうえで、それでもあんたを止められる人間がいるとしたら俺だけだと言われた」
『その予想も見事に外れたが』と皮肉った狡噛に、朱は『・・・そうでもないですよ』と言い、手を止め狡噛の背に額を預けた。
近づいて、触れてみて気づいた。泉宮寺豊久につけられた傷だけじゃない。狡噛の身体には古い傷跡がいくつもあった。肉が抉られたような傷跡や切り傷に銃創。狡噛ほど自分を磨き、高めている人間を朱はほかに知らない。そんな人がこんなにも傷だらけになるには一体どれだけの無茶をしたのか。付き合いの短い朱にも大体想像がつく。
「自分は無茶ばかりするのに、私を止めようとする狡噛さんを煩わしく思ったのは本当です。でも、どこかで狡噛さんに止められたら、心配して、怒鳴る狡噛さんの声を聞いたら決意が鈍ってしまいそうで。そんな簡単に揺らいでしまう自分を見たくなくて、通信を遮断したのも事実です」

狡噛さんの言葉は私を突き動かしもするし、引き止めもする。今までだって何度も、支え、導いてもらった。

「私にとってすごく厄介なんです。狡噛さんは」
思い通りに動いてくれなくて、でも本心ではそれを望んでいる自分も確かにいて。本当はどうしたいのか、自分で自分がわからなくなる。
「心配してくれて、ありがとうございます」
嬉しかった気持ちも本当だったから。

朱の心の内を聞き、狡噛は諦めたように溜息をつくと、重心を後ろに置き、微かに朱に体重を預ける。
「これからはあんたの口から直接相談してくれ。一度は止めるかもしれないが、あんたがやり通すと決めたことなら口出しはしない」
「本当ですか?」
「俺自身も今回のことでそれぐらいには、あんたのことを刑事として認めたつもりだ」
「じゃあ、やっぱりメモリースクープやって正解だったってことですね」
「あまり調子に乗るな」
「すみません」


朱は狡噛の身体に腕をまわし、力いっぱい抱きしめた。
「どうした?」
「狡噛さんの背中・・・広いから疲れちゃいました」
少し休憩させてくださいといった朱の声に、微かな涙声が混じっていたことに狡噛は気づいていた。背中からまわされた腕に触れ、引き寄せる。
「あんたが手を休めてばかりだから体が冷えた。暫くそのままでいてくれ」

雪の降る中、上半身裸でいても平気なくせに。

その不器用な嘘が自分の為であることに朱自身も気づいている。

「傷・・・痛くないですか?」
「ああ」

誰よりも厳しくて、誰よりも優しい人。

そして誰よりも愛おしい人。
今はまだ言葉にできないこの感情をできるだけ多く伝えたくて、朱はもう一度、腕に力を込めた。





FIN



これを打っていた時のBGMはサントラのNO.15『命の在り方』でした。
サントラ、本当に素晴らしいです。